深津佳子
平安の風流が世界に
古代エジプトの壁画にも登場する団扇が日本に伝来したのは7世紀ごろ。この団扇を折りたたんで扇子にしたのは、日本人でした。ときは平安。扇子は和歌を書いたり、花を載せたりして意中の人に贈る大切なコミュニケーション・ツールとしても大活躍。その後、北宋(中国)に輸出され、ヨーロッパにも伝わって刺繍を施したり、豪華に羽根をつけたりしたものまで登場し、上流階級の女性たちに人気のアイテムとなりました。
扇子はおおまかにいうと、涼をとるもの、儀礼用のもの、舞いに使うものに分けられますが、要(かなめ)で束ねた骨を開くと、その形が「末広がり」に通じるとして、おめでたい席の引き出物にされることもあります。コンパクトに持ち運べる利便性もあって、ここ数年、男女問わず、年齢を問わず、扇子を持ち歩く人が増えています。
江戸扇子の継承者として
それぞれの工程を分業でつくる「京扇子」と違い、三十以上にわたるすべての工程をひとりだけでつくり上げる「江戸扇子」。手間暇がかかるだけに、量産はできません。職人の数も作品数も限られています。でも、だからこそ、つくり手の思いのこもった、世界にひとつだけのものを手にする喜びがあります。
深津佳子さんは、そんな江戸扇子の貴重な継承者のひとり。父であり、師でもあった先代・深津鉱三さんは、皇太子妃雅子様、秋篠宮紀子様などの皇室の儀礼用扇子や、市川團十郎や坂東玉三郎といった歌舞伎役者の舞台用扇子も手がけた名匠でした。その師匠と並んで仕事をした修行時代……
「師である父と一緒にいられた時間は、とても貴重なものでした。言葉だけでなく、その作品から、その姿勢から、ほんとうにいろいろなことを学びました」。扇子の材料は、紙、竹骨、糊。ごくシンプルなものばかり。矯(た)めをきかせて曲げたり、束ねたり。ものづくりというのは、ある意味で素材に無理をかけることでもあります。「素材の持っている癖をよく感じて、折り合いをみること。折り合いのよい時点は、ただ一箇所しかないのだ、とも教えられました」。
技を繋ぐ技
佳子さんの名刺には、屋号だけが印刷してあります。最初は、女性の職人が少なくて、なかなか理解されなかったから。でも今は、代々続いてきた屋号に恥じないような仕事を続けるために。
先代と一緒にたくさんの名作を残してきた日本画家の叔父、池上隆三さんが描く扇面画には、空間美の神髄があります。しかし一方で、新しいことも吸収しながら技を繋ぎたい。だから、イラストレーターとのコラボレーションにもチャレンジしています。
「職人には、マニュアルがありません。ひとりで努力したり、苦しんだりするしかないのですが、その努力の仕方さえ、自分で探すしかない。そうやって一生、頑張っていくしかありません。きっと、伝えたいのは生きていて幸せだ、という思いなんです。だから、私はいつも何かに感動していたい。その心の動きや、思いを描いて空間を埋めていきたいと思うのです」。
持ってこそ、使ってこその道具です
扇子は道具ですから、大事にしまっておかないで、使ってくださいね、と深津さん。その扇子は、おもいのほか、すっきりと、シャッキリとしています。それでいて、たとえば、伝統柄である鮫小紋や立湧、氷割れ、それに人気の蜻蛉(とんぼ)に、どこか心なごむ雰囲気が漂うから不思議。「同じものをつくっても、同じものはふたつとはできません。それぞれに違った表情があるものなのです」
その表情は、使っているうちに変化していきます。使い手の年齢によっても、気持ちや感情によっても違う表情をみせるようになるのです。そうなったとき、その扇子はあなただけの1本になるのかもしれません。
プロフィール
江戸扇子職人。東京都荒川区在住。文化学院卒業後、29歳で父・深津鉱三さんの弟子に。江戸末期に日本橋で開業した「雲錦堂 深津扇子店」は大正時代には浅草に、昭和のはじめには京都に店を移した。戦後、再び東京に戻り、現在に至っている。深津佳子さんは5代目。東京都伝統工芸技術保存連合会、荒川地区委員。荒川区無形文化財保持者。
