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北泰子 パート・ド・ヴェール

職人名
北泰子
技能
パート・ド・ヴェール
在住
神奈川県横浜市

1989年、武蔵野美術大学を卒業後、東京ガラス工芸研究所に入り、パート・ド・ヴェールの技法を学ぶ。1992年に同研究所を卒業し、1992〜1994年に朝日現代クラフト展にて入選。1993〜1996年には、アメリカ・ニューヨークのコーニング美術館主催のNew Glass Reviewに入選。1993年には日本クラフト展にて入選を果たす。1998年愛知県陶磁器資料館にて開催された「日本の現代ガラスの一断面」に出展。2001年、2009年、2013年に再びNew Glass Reviewに入選。2004年、2006年には現代ガラス展にて三輪休雪審査員賞を受賞。2002年にはベルギーで行われたBelgium Glass-Japanese Masters Exhibitionに、2007年にはアメリカ・ピッツバーググラスセンターで開催されたAllure of Japanese Glass展に出展。そのほか、これまで国内外のガラス展、工芸展に出展し、受賞歴も多数。現在、横浜市内のアトリエ フォロンにて意欲的に制作を続けている。日本ガラス工芸協会会員。

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幻といわれた技法

ガラスの粉末を型に入れて溶融し、成形するガラス技法があります。

金属の鋳造技術を応用したもので、古代メソポタミア文明のころから伝えられる古い製法。当時は彫ってくぼみを作った石や焼成した粘土の型に、珪砂(石英砂)や水晶を詰め、窯に入れて溶融する工程を繰り返して作ったそうです。着色のためには微量の金属鉱石を粉にして混ぜ込んで鋳型に入れていました。

盃や碗や皿だけでなく、装飾品も作られていたのですが、作り方が複雑だったばかりでなく、ガラスを取り出すために毎度、鋳型から作りなおさなくてはならないというメンドクサイ手法だったため、より大型で大量に生産することができる吹きガラス技法が発明されると途絶えてしまいました。

その幻の製法が再び注目を浴びるのは19世紀末。ときはアール・ヌーヴォーの時代です。フランス人の陶芸家アンリ・クロ(1840~1907)によって再興され、パート・ド・ヴェールと呼ばれるようになりました。パートとは粘土、ヴェールとはガラス粒に色ガラスと糊を加えて練ったものを指します。多くの作家が個性的な作品を数多く残しましたが、作家の秘密主義が徹底していたせいで、またまた、その技法は幻に。

この技法を再度よみがえらせたのは、20世紀の日本でした。岩城硝子製作所が1933年に研究チームを結成し、成功。1962年にはアメリカで小型溶解炉が開発されて作品を作る環境も整いガラス作家たちによるグラス・アーツ運動が展開されました。日本でも全国各地の工房や作家によって個性的な作品が生み出されるようになり、現代のガラス工芸に新しい分野を形成するようになってきました。

試行錯誤を繰り返し、独自の作風に。

北泰子さんのパート・ド・ヴェールは、色あたたかく、光やわらかく、触れてやさしい。目にし、手に持った人を、ほっとさせてくれるような作品です。個性的な色や形のものも多いのですが、不思議と料理を盛っても、スイーツをのせても、ぴったりとくるのは北さんご自身が「食べることが大好き」だからかもしれません。

どうしてパート・ド・ヴェールの道へ? という質問に、「出会い……でしょうか」と、首を傾げてにっこり。

小さいころから絵を描くのが好きだった北さんは、高校を卒業すると自然に美大のデザイン科へ進学。空間デザインを専攻し、卒業後は照明プランナーとしてさまざまな飲食店やショップを担当。図面を引いたり現場でライティングの調整をしたりと忙しい日々を過ごすうち「もともと好きだったのは自分の手で、ものを作ることだったはず!」と思い至って会社を辞め、東京ガラス工芸研究所へ。

そこで見たのがパート・ド・ヴェールでした。吹きガラスしか知らなかった北さんにとって、その出会いがすべての始まりだったのです。

「とても地味で、手間のかかる手法です。地道に、コツコツと、黙々と。でも、そういう仕事が私には向いていたのだと思います」

そして、研究所の卒業作品がニューヨークのコーニング美術館主催のNew Glass Reviewに入選。パステル調の、猫がうずくまったような丸~いオブジェを、担当の先生が「ピリカ(アイヌ語で美しいという意味)」と評してくださったのがとても嬉しかったそうです。卒業後、北さんは自宅に小さい窯を購入しました。加工のための道具も、ひとつずつ、揃えていきました。

「試行錯誤の毎日でしたが、それが楽しかったのだと思います。もちろん、うまくいかないこともたくさんありますし、悩むことだっていっぱいあります。それでも、作りたいと思うものが思い浮かぶと、なんとか形にしたくて頑張っています」。

ひとりで工房にこもってばかりいても、作品に広がりは出ないかもしれない、と思い、視野を広げるためにガラス工芸協会にも入会。いまは理事を務めています。工房では月に2度、パート・ド・ヴェールの教室も開講しています。

ガラスと火と人の手と。

陶磁器とガラスの中間的手法ともいわれ、その両方の特徴を備えているパート・ド・ヴェール。吹きガラスでは出せない繊細な風合いを出すことも可能ですが、その手法は、現代もメソポタミアのころからさほど変化していません。

まず、デザイン画を描きます。そのデザイン画をもとに、粘土で作品の原型となる塑像を作ります。でき上がりの小さな凹凸まで詳細にかたどって、小さい模様までパズルのように作り込みます。

次に、その塑像をもとに耐火石膏などで鋳型を作ります。原型を挟み込むように、外側部分と内側部分が必要です。石膏型ができたら、粘土をはがして、表面をきれいに整えます。この工程できれいに整えておかないと、作品にそのまま出てしまいますから、ここは気を遣って、ていねいに。

型の制作とともに、ガラスの準備も必要です。クリスタルのガラス片をまず鍋に入れて窯入れし、摂氏400度で1時間ほど焼きます。アツアツの状態で一気に水入れします。ジュン!という音とともに、ガラスにヒビが入ります。2~3日干して、粉砕器にかけて粉砕します。これを何度か繰り返し、網笊(あみざる)にかけて振るい、いくつかの大きさのガラスの粒を作ります。工房のガラス粒は5種類で、それぞれに「大粒」「小粒」「ザラメ」「グラニュー」「パウダー」というラベルが貼ってありました。

「お砂糖の大きさになぞらえてしまって。食いしん坊なのがバレちゃいますね」。

でも、とてもわかりやすいデス!

さて、石膏型とガラスの準備ができたら、ガラス粒に色ガラスと糊を加えて練ったものを石膏型に詰め、窯に入れて焼成します。ここまで、ずいぶんたいへんな作業を続けてきたようなのですが、じつは、ここまででようやく半分。パート・ド・ヴェールは、ここからがたいへんなのです。

焼成を終えて冷えたら、今度はガラスを鋳型からはずさなければなりません。ガラスを取り出すには鋳型をこわす必要があります。細かい凸凹に傷をつけないように、割れたり、かけたりしないようにガラスを取り出します。取り出したガラスには、バリもありますし、細かい穴や凹には石膏が埋まっていたりしますから、それを針状のもので取り出します。石膏用の溶解剤を使うこともあります。ブラスターやリューターを使うこともあります。

石膏からはずしたガラスは、研磨用ダイヤモンドフィルムの、目の粗いものから細かいものまで使って磨き上げます。内側はつるつるに。外側は質感を残して、しかも手触りよく。ここで風合いが決まるので、時間をかけて、納得いくまで磨きます。

色分けが必要な作品は、パーツごとに型を作って、それぞれに窯入れし、組み立ててもう一度窯入れをする、という工程が必要で、ものによっては三度も四度も窯入れをする作品もあるとか。

「どんなに手間がかかっても、思い描いたものが形になるとうれしいものです。幼いころはおとぎ話が好きで、夢想や妄想もたくさんした、という人、多いと思うんですよ。私もそうでした。だからものがたりが浮かぶような、あたたかみのある雰囲気が出せたらいいな、と思って作品を作っています。でも、大人ですからね、そこにちょっとしたスパイスもきかせたいな、と」

テーブルの上にふわっと、キラッと、新しい風を運んでくれるガラスの器。

飾っておくのもいいのですが、ぜひ使ってください。見て楽しく、触れて楽しく、使って楽しめるパート・ド・ヴェールです。

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