1枚の銅板をたたいて、たたいて。
1枚の銅板を大小の鎚で打ち出して作り上げる「鎚起(ついき)銅器」。打物(うちもの)銅器ともいい、熱でやわらかくする「焼き鈍(なま)し」と、金鎚で打ち延ばしたり、打ち縮めたりする工程を何十回も繰り返して仕上げる伝統工芸品です。
燕市で鎚起銅器が作られるようになったのは、明和年間(江戸中期)。近郊の間瀬銅山でとれる銅を原料に、伸縮性に優れた銅の性質をいかして烏口と呼ばれるさまざまな形をした金床と、大小の鎚を用いて器を作る技術が生まれ、伝承されていきました。明治末期には職人たちの創意工夫がプラスされて美術的に大きく飛躍したといわれ、現在、国の伝統工芸品指定を受けています。
「1枚の銅板から作られるので継ぎめがなく、丈夫で、使い込むほどに渋みも増していきますよ」と語る藤井宏さん。世代を問わず、たくさんのファンを持つ鎚起銅器の製作者です。
茶道具から日用品まで
水注、湯沸、茶筒、茶托、建水、ペン皿、筆筒、菓子皿、花瓶、一輪挿し……茶道具から日用品まで、富貴堂にはじつにたくさんのシリーズがあります。形や模様もいろいろなら、色合いもさまざま。1枚の銅板がこんなにも表情豊かに変わるのかと驚くほどのバリエーションです。でも、「うちの基本は、あくまでも機能性重視」と、藤井さん。「どんなにきれいでも、使い勝手がよくなくちゃ、どうにもならないでしょ」って。
シンプルで無駄のないフォルムに、細かく打ち出された模様。じつはこの模様も、外面着色や内側の錫ひきも、できるだけ丈夫に堅牢に作るためと、汚れの付着を防ぐため。着色には特殊な技法が多く、藤井さんが数年がかりで開発した独自のものも。こうした創意工夫のなかから、数々のヒット商品が生まれました。いくつもの賞に輝いた「特厚銅鍋」や「湯豆腐鍋」。そして「これぞ完成形」と藤井さんが太鼓判を押す急須。「お客様にクレームをもらって、数え切れないほど改良に改良を重ねてきたからね」という急須はぽっこりと愛らしい形をしています。持ちやすく、茶葉がつまらず、たれない! すばらしいじゃありませんか。
100年でも使えます。しかも修復可能です
銅の熱伝導率はアルミの2倍、ステンレスの25倍。だから銅でできた湯沸だとお湯が早く沸きます。保温性もよいので、銅の器に入れるとあたたかいものはあたたかく、冷たいものは冷たくいただくことができます。銅鍋だと熱が全体にいきわたるので、煮くずれや片煮えが少なく、料理の腕も2割増しに!?「よく花瓶に10円玉を入れておくと花が長持ちするっていうでしょう。金属イオンの作用だと思うのですが、銅の花入れはほんとうに花が長持ちするんですよ」
しかもお手入れは簡単。使ったら洗って、やわらかい布で拭くだけです。
銅の持っている優美な光沢、やわらかい風合いは、時間とともに増していきます。使い込むほどに、表情豊かな器に育っていくのです。富貴堂の製品は厚みもあって、しっかり作られているので、めったなことでは壊れません。一生ものというより、それこそ孫子の代まで使えます。まあ長い間使っていれば、少しはすり減るかもしれませんけどね。でも、万が一、破損したとしても修理してもらえます。やっぱり、たまに、あるらしいんですよ、へこませちゃったり、焦がしちゃったり。それでも、
「大丈夫ですよ。たたきなおして(!)、きれいにしてお返しします」って、藤井さんが約束してくれました。
継承と挑戦。それが職人の心意気
いま、藤井さんの横には、3代目当主となるはずのご長男・健さんの姿があります。これまでも、健さんとともに数多くの新作を手がけ、成功させてきました。後を継ぐ長男の存在は、藤井さんにとって大きな励みであり、刺激にもなっています。「親と子は世代が違うだけではなく、ものの見方も考え方も違う。だからぶつかる。ぶつかりながら、新しいものが生まれていくんですね」
中学生のころから手伝わされていた家業。1945年に父、藤井富治さんが玉川堂より独立して興した富貴堂の後継者となるはずの藤井さんにだって、サラリーマンだった時代があります。鎚起銅器といえば湯沸、と思われていた時代に富貴堂で茶道具を作り始めた先代。皿やコップや花瓶を作ってアイテムを広げてきた藤井さん。そして時代にマッチした製品を模索して商品開発に力を注ぐ健さん。伝統工芸のよさが少しずつ、若い世代にもわかってもらえるようになってきました。「だから今、いいものを、きちっと仕上げていこうと思っているんです。きちっとしたものだけを残して、せがれの世代に渡したい」
表情を引き締め、そう語ってくださった藤井宏さんの手には、鎚を握り続けた勲章が刻まれていました。