伝統技術を繋ぎ、工芸の美を求めて
屋号になっている「花鏨(はなたがね)」の「鏨」とは、鋼鉄でできた金工(金属を加工する)の道具のことです。金工とは、この鏨や鑢(ヤスリ)を用いて金属を彫ったり、打ち出したりして模様や図案を入れること。材料となる金属は金、銀、銅、プラチナ、赤銅、四分一(しぶいち=朧銀)、鉄、真鍮など。
金工の歴史は古く、平安時代にはすでに甲冑や刀剣の装飾に用いられたといわれ、江戸時代になると刀剣の鍔(つば)や縁頭といった拵えなどで、各藩のお抱え金工師や町彫り金工師が活躍しました。明治の廃刀令以降は、花器、香炉、喫煙具、建築装飾などにも金工の技術が使われるようになり、女性の帯留めや根付といった装飾品にもその技術は遺憾なく発揮されてきました。
しかし、刀剣や甲冑の需要がほとんどなくなり、着物を着る機会も減ってしまった現代。和様の美意識も変化し、金工の技を持つ職人も、彫金作家も少なくなってきました。そんななか、有馬武男さんは、その彫金の伝統技術を今に伝え、後世に残す、貴重な若手の金工作家。しかも、西洋のジュエリー技術も身につけた、日本の伝統工芸の世界では異色の存在です。
「ときの流れに左右されることなく、洋の東西を問わずに親しまれる工芸の美というものが存在すると私は思っています。ほんとうに美しいものは空間や時間、場所によって色褪せることはないと思います。そういう工芸品を作りたいと、毎日、試行錯誤を重ねているようなものです」と、有馬さん。なんと高円宮妃殿下に献上されたハンドバックの金具を制作したこともあるとか。記念品やエンゲージリング、マリッジリングなどの特別オーダーもよくあるそうです。
並んだ鏨は100本超、鑢も100本超
アトリエでまず目をひくのが、さまざまなデザイン画。装身具のデザイン画はとても繊細な線で描かれていて、それだけでも鑑賞にできそうなくらいに美しいのです。そして、その向こうにある作業台には彫金の道具。その数が、スゴイ。鏨も鑢も、数えきれないくらい並んでいます。果たして全部使うのだろうか? と疑いたくなるくらい。
「必要なんですよ、全部。ひとつの作品を作るのに100本前後の道具を使うのですから。なかには年に数回しか使わない鏨もありますが……」
鏨には、先端がさまざまな形状をしていて、その形状を使って地金を打ち出すための「つくり鏨」と、先端が刃になっていて地金の表面に模様や絵を線で彫り込む「刃鏨」があって、その両方にさらにたくさんの種類があります。鏨を打つために使う「おたふく槌」だって何種類もあります。それらを使い分けながら、ひとつの作品をつくり上げていくのです。鑢も大きさも形もさまざま、目の粗いもの小さいもの、がたくさん並んでいます。 「鏨を作るためだけの鑢なんていうのもあるものですから……」 道具のための道具! 自分の手に合った道具にするためには、自分で作るしかないのだそうです。
さて、この日は「容(かたち)彫り」の工程を見せていただきました(容彫りのほかに「毛彫り」といって細い線で模様や文字を彫る作品もあります)。作品は銀製の鯛の帯留めです。工程を追うとざっと以下のようになります。
- デザイン画を起こす。
- 「針打ち」=平らな銀盤に針状の鏨でデザイン画どおりに点線を刻んで輪郭を入れる。
- 「木鏨打ち」=銀板を木台や砂袋の上に置き、裏から木製の鏨で叩いてお椀を返したように盛り上げる。
- 松ヤニをとかしたヤニ台の上に、こんもりと盛り上げた銀板を貼り、盛り上がりの余分な部分を大きめの鏨で打ち込んでへこませる。※この後の作業は、松ヤニが熱くて柔らかいうちに。
- 「寄せ」=寄せ鏨で、貼り打ち輪郭線に沿って、外側から内側へ、中心に向かって寄せ上げる。 ※ここで作品の輪郭が決まる。キバタといわれる立ち上がり、つまり作品の厚みも決まる。地金は鏨で打つほどにしまって硬くなるので、ヤニ台からたびたびはがして火であぶり、「焼き鈍し(やきなまし)」をして柔らかくする。
- 「なめくり」=なめくりと呼ばれる鏨で、鯛のえらやひれなどに線を入れたり、段差をつけたりする。
- 「ならし」=先端が平らなならし鏨で形を整え、表面をおおまかにならす。
- 「キサゲ」=キサゲという鋼鉄製の刃物を使って、ならし鏨で打ったあとを削り、表面をなめらかにする。
- 「鱗打ち」=鯛の鱗専用の鏨で鱗を一枚ずつ打ち込む。頭から尾へ、3回ほど繰り返してはっきりした鱗を彫っていく。
- 「切り抜き」=表面の模様の細かいところを調節して松ヤニをはがし、周囲の余分な部分(押し金)を糸鋸で切り取る。
- 切り取った部分を鑢(ヤスリ)で削ってなめらかにする。
- 表面を磨き上げ、金を焼つけたり、つや消しをしたりして表面の仕上げを施す。
- デザイン画と見比べて確認をする。
- 裏板、金具などを装着する。
デザイン画から針打ち、そして磨き、仕上げまで気の抜けない作業が続きます。目をこらし、息を詰め、一心に作品に向かう姿を見ていると、作品に込められた彼の思いが伝わってきます。
感性の根っこは日本にある
ふだんからハレの日のような気持ちでお洒落を楽しんでほしいという思いから『常をハレに、ハレを常に』と、『ジュエリーを身に着ける工芸品へ』のふたつの言葉をモットーに、デザイン画から制作のすべての工程を一人でこなす有馬さん。言葉では伝わりにくいイメージも、質感も、そのままデザインに起こし、作品に投影させていくことができるのが彼の強みでもあります。建築学を学び、日本画と水墨画だけでなく、イギリス留学中は時間が許す限り大英博物館、テートギャラリー、ナショナルギャラリーに通って古代エジプトやギリシャの彫刻などのデッサンを重ねました。帰国して東京でジュエリーデザインと彫金を学んだのちに、金工という伝統工芸の道に進んだ風変わりな経歴の持ち主である彼が、33歳でアトリエを構えたのは、緑豊かな古里でした。先代までは造り酒屋を営んでいたというその生家の敷地にはどっしりとした酒蔵が残されており、母屋は築190年を超える藁葺き屋根の古民家。この、流れゆくときを耳もとで感じるほどの静謐な空間で、日本古来の金工の技術と、西洋のジュエリー技術を融合させた「有馬スタイル」が発信されています。