花切子ってなに?
午前7時。工房の明かりが灯ります。いつも同じ時刻に、夫婦並んで仕事を始めるのが目黒硝子技術工芸社の流儀。工房にガラスを削る音が響きます。ここで作られているのは、江戸切子のなかでも「花切子」と呼ばれる独得の技法を駆使した切子です。
工房の主、目黒祐樹さんは、目黒硝子美術工芸社の二代目。自宅の1階に工房があったので、子どものころから先代の仕事を間近で眺めながら育ちました。大人になったら「自分も花切子をやる」。自然にそう思い、高校卒業と同時に父を師と仰いでこの道に入りました。当初は外に修行に出ることも考えていたのですが、江戸切子の職人がその作品の一部に花切子の技法を取り入れることはあっても、花切子を専門にしている職人は当時でも珍しく、知り合いの職人に「花切子の第一人者がせっかくそばにいるのだから、わざわざ外に出ることもないだろう」といわれたのだそうです。
「それでも私が修行に入ったころには、まだ何人か花切子専門の職人がいたのです。でも、いまはもう、うちくらいになってしまいました」とおっしゃる目黒さん。
いまや、花切子が彫れる職人はたいへん希少な存在です。
では、その花切子ってなに? というお話です。
出発点は、まず「花切子」≠「花柄の切子」というところでしょうか。花が描かれるのが花切子、ではありません。モチーフは花鳥風月や山水、動物などさまざま。従来は梅や桜、菖蒲や紅葉、唐草、葡萄、帆掛船、龍や鯉などが描かれることが多かったようですが、最近では猫や犬、楽器なども人気だそうです。一般の江戸切子のようにモチーフをパターン化してカットを施していくのとは違い、花切子はガラス面をキャンバスのように使って独自の世界を描きます。
江戸切子と花切子
海外でも人気の江戸切子は、1834年(天保5年)に江戸大伝馬町のビードロ屋、加賀屋久兵衛がガラスの表面に金剛砂で彫刻を施したのが始まりと伝えられています。明治時代に入るとイギリスから指導者を招いてカットの技法を学んだり、素材の研究開発が進められたりしたおかげで品質が向上。昭和の初期に至るまで江戸切子は発展を続けました。江戸切子の代表的な文様は、魚子(ななこ)、麻の葉、籠目、菊繋ぎなど十数種。庶民の手で支えられてきたことを象徴するように、着物や帯に用いられるモチーフが多いのが特徴です。
では、花切子は? というと、どうやら花切子がどのようにして生まれ、発展してきたかという歴史さえ、いまひとつはっきりしないようです。古い記録をたどると、1881年(明治14年)の内国勧業博覧会に何点か出品されとされていますが、どれもがランプや街灯の火屋でした。ガラスじたいに不純物が多く、あまり繊細なものではなかったからでしょう。しかも、その技法は器を下から当てて彫刻するグラヴィールに近いもので、回転盤に上からガラスを押し当てて作成する江戸切子、花切子とはまるで違うものでした。
手で持って細部まで眺める小物類に花切子が施されるようになったのは、質のよい吹きガラスが作られるようになった大正から昭和初期。花切子を施した品は高級品として人気が出たのだそうです。
ガラスに浮かび上がる世界
では、目黒さんの手もとをみてみましょう。
単純にいえば、花切子は浅いカットと深いカットの組み合わせだけで、輪郭や陰影、遠近感までを表現しています。そのための道具は、数えきれないくらい。道具は専門の道具屋さんで調達できるものもあれば、自分で作らなければないものもあります。
「江戸切子とは違う道具もあるので、必要な線や、欲しい質感を出すための道具は自分で工夫するしかありません。道具をみれば使っている技法もわかってしまうくらいで、できあがりを大きくかかわりますから、道具にはこだわりますね」と目黒さん。
カットに使うのは人工ダイヤや石など。それを回転盤に設置して、いよいよロックグラスを手にします。グラスを上から押しあて、グラスを引きずるように手前へ、向こうへ、右へ、左へ……。削る、というよりは彫る、といったほうが近いかもしれません。ほどなく帆船が現れました。グラスを斜め上から覗き込むと、海と空と、波を切って進む帆船が立体的に目に飛び込んできます。もうひとつグラスを手にした目黒さん。今度はかわいい猫です。2匹寄り添う後ろ姿の猫は、その毛並みまで生き生きと描き出されています。そこで、目黒さん、隣にいらっしゃる奥様に声をかけます。
「ね、星。星をたのむよ」。
グラスは奥様のかほるさんへ。グラスの上部にお星さまが輝きはじめました。流れ星もあります。なんともキュートな世界が浮かび上がってきました。結婚が決まったときから工房に通って修行を積んできたかほるさん。ご自身では「まだまだ!」と謙遜なさいますが、20年経ったいまでは目黒さんの右腕的存在。
「花とか星とか、女性らしい感性が必要なときにはとても助かっています」とか。
使い続けて育てる喜び
目黒さんの手もとをみていて驚くのは、江戸切子でまず施される「割り出し」(カットの目安となる印を入れること)さえほとんどないまま、迷いもなくカットが進んでいくこと。これはもう、構図がしっかり頭のなかにでき上がっているとしか思えません。しかも、回転盤の上にガラスがあって、ガラスの向こう側をカットしているので、削っている面は直接見ることができない! グラヴィールなど、切子以外のほとんどのものは削る面を上にして絵を描くのと同じ配置で削りますが、切子は道具の上にガラスを持ってきて外側(向こう面)をカットしていきます。見えているのは内側ですし、グラスなど口径が小さいものは、それさえほとんど見えません。経験と勘がものをいいます。
さらに花切子には定番の文様があるわけではないので、デザインを考え、それをガラスに表現する構図に落とし込むまでの作業も必要です。<?p> 「そうですね。生地(ガラス)をみて、とっさにデザインが思い浮かぶこともありますが、じつは四六時中デザインのことを考えていますね。木や花を見ても、猫を見ても、犬を見ても、雲や星や道具や楽器を見ても、とにかくありとあらゆるものを硝子のなかに表現できないか考えてしまう。どこへ行っても、ついついそんな目で景色を見ていて、帰ってくるとスケッチブックに下絵を描いて、頭の中に構図を叩き込んでおく。ただガラスを前にしてアウトプットするときに、待てよ、と思うことも多くて、新作をつくるときには迷ったり、考え込んだり、悩んだりの連続です」。 そんな作品を光にかざしてみます。模様に光が重なって、命を与えられたかのように輝き出します。ため息をつきながら眺めていると、 「でも器はね、なかになにか入れてみたときがいちばん美しいんですよ」と目黒さん。 道具は使ってこそ味わいが出てくるもの、使い続けて人の手で育てるもの、といいます。切子の器を使うときの注意はひとつだけ。食器洗い乾燥機に入れないこと。それだけです。 「カット面に触れているうちに、やわらかい光を宿すようになりますよ。かわいがってあげてくださいね」。
世界にひとつだけのお気に入りの道具を大事に育てていく。おだやかで豊かな喜びに出会いました。