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倉田義之 毛抜き

職人名
倉田義之
屋号
倉田製作所
技能
毛抜き
在住
東京都荒川区

14歳のときに父・福太郎さんに弟子入り。60年間一筋に、腕を磨いてきた。「努力する以外になし!」を信念に、「一生もの」の毛抜きを精魂込めて作り続ける。平成9年、荒川区の「伝統工芸技能功労賞」受賞。平成20年11月には「東京マイスター」受賞。

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毛抜きは日本で生まれた唯一の化粧道具なり

清少納言は『枕草子』のなかで、「ありがたきもの。毛のよくぬくる銀(しろかね)の毛抜き」と書いています。「ありがたき」は「有り難き」。銀もさることながら、抜き心地のよい毛抜きもまた、なかなか手に入らない貴重なものだったのでしょう。

それはさておき、毛抜きの原型はどうやら二枚貝だったようで、平安のころにはすでに登場し、室町時代になると庶民にとっても身近な道具となっていました。江戸末期の浮世絵に描かれている毛抜きは現在使われているものとほとんど同じ形をしています。このころには、大小50種類にも及ぶ毛抜きがあったといわれ、髭はもちろん鼻毛やら生え際やら、とにかくお洒落な江戸っ子はむだ毛の手入れについてはとてもマメだったらしい。だから、抜け心地にだって当然、ウルサイ。スパッと粋に抜けなくちゃならない……てなことだったかどうだかわかりませんけど、そのころの伝統をそのまま受け継いだ総手打ちの技術を受け継いでいるのが倉田義之さんということになります。

総手打ちの伝統を守る、ただ一人の継承者

倉田義之さんの父親も、その父親も、毛抜きを作る職人でした。毛抜きを作り続けてもうすぐ135年になる職人の筋。3代目となる現在の当主・義之さんが修行を始めたのは14歳のときでした。くる日もくる日も重いハンマーを振り下ろし、親方はその音で弟子の技量を計ります。小さい毛抜きを1本つくるにも、重いハンマーを振り下ろす回数は、約600回。「おかげで、1日中振っていても平気になりました」と笑う義之さん。じつは、総手打ちの毛抜きを作るのはもう、彼のほかにはいません。その技術は今、息子である聖史さんに受け継がれています。

もともと毛抜きは鉄製でしたが、倉田さんの毛抜きの素材はステンレス。もしくは金や銀。かたいステンレスの棒を叩いて、叩いて、中央と先端部分を薄く引き延ばし、3ミリあった厚みが0.8ミリに。計ったわけでもないのに、必ずピタッと同じ長さに揃っています。職人技というより、ほとんど神業!

江戸毛抜きの本流に、名人級アイディアもプラス

機械で引き延ばせば、あっという間。けれど、なぜそんなに叩くことにこだわるのか? それは叩くことで金属組織の密度が高くなり、強度が増していくから。そして手作業だからこそ、ほどよいバネのある毛抜きが仕上がるのです。

口(刃先)の微妙な研ぎも手作業ならでは。仕上げの段階に入ると、倉田さんは口(刃先)を押さえて光にかざします。ちょっとでも光が漏れれば、再び研ぎを加えます。わずかな光ももれないくらいに、ピタッと口があっていてこそ、うぶ毛もすべらず抜ける毛抜きの逸品といえるのです。

毛抜きの形は用途によっても変わります。江戸から伝わるオーソドックスな形は「いろは」「甲丸」「瓢箪」。最近は「眉毛抜き」もありますが、倉田さんはリップスティックタイプの毛抜きも考案。さらに彫金師と組んで宝石を施した美術品のような美しい作品もあり、プレゼントにも最適! と評判を呼んでいます。

「一生モン」? いえいえ、孫まで親子三代で使えます。

そうして仕上がった毛抜きの1本1本に、倉田さんは自分の名前を彫り込みます。それは、自分で作ったものには責任を持とうという思いから。そして、何年使ったものであっても、刃先の調子がおかしくなったら無料(送料のみ自己負担)でメンテナンスしてくれるのです。

「毛抜きで毛を抜くときには、刃先でつかんで抜くのではなく、刃先の平面部分で挟み込むようにして、包むように、やさしく引き抜く感じで」と、倉田義之さん。 一度でも抜いてみたことがある方なら、わかりますよね。無理矢理引っ張ってムッという感じで抜けるときの、あのやるせない気持ちも、スッと小気味よく抜けたときの快感も。抜けて当たり前の毛抜きだからこそ、抜け感が大事なのです。

作品例
  • スティックタイプ
  • だるま
  • いろは
  • 眉毛・花柄(ブルー)
  • 宝石入り
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