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喜多忠男 つげ櫛

職人名
喜多忠男
屋号
喜多製作所
技能
つげ櫛
在住
鹿児島県指宿市

1946年、鹿児島県生まれ。20歳のころ、家業であるつげ櫛製作所で修行をはじめ、30代で喜多つげ製作所4代目に。美しく丈夫なことで定評のある喜多つげ製作所の薩摩つげ櫛は、鹿児島県伝統的工芸品に指定され、さらに、5代目となる次男・正貴さんと開発した「つげブラシ」が、2005年に「2005かごしまの新特産品コンクール工芸品部門」で鹿児島市長賞を受賞。

櫛になりたや、薩摩の櫛に

日本人の黒髪を守りつづけてきたつげ櫛。材料となるつげ(柘植、黄楊)はツゲ科の常緑低木で、現在、国内で産出できるのは薩摩半島の指宿(鹿児島県)と御蔵島(東京都)くらい。たいへん貴重な資源です。

薩摩で櫛が作られるようになったのは江戸時代。材質が緻密でかたい薩摩のつげは歯が折れにくく、色艶がうつくしく、油持ちがよいので櫛材として珍重され、「櫛になりたや、薩摩の櫛に。諸国娘の手に渡ろ」と、唄になったほど。女児が誕生するとつげの木を植え、娘と一緒に大切に育てて嫁入りのときにはその木を売って道具を持たせる……そんな習慣もあったといわれるこの地で、伝統の技を受け継いだ喜多忠男さん。薩摩つげ櫛を代表する職人です

職人はまず、つげの相をみる

「中国の故宮博物館でつげを使った工芸品をみたことがあります。3000年も前の額に、まだ湿気や乾燥でゆがみがくる。だから定期的に修理をしているのだそうです。すごいねえ。3000年経っても、自分が木であるってことを忘れない。なかなか『まいった』とは言わない。それがつげの木なんだ」

まるで自分がつげの木の分身でもあるかのごとく、うれしそうに語る喜多さん。修行の最初は、このつげの相をみることから始まったのだそうです。原木を見て年輪の巻き方を読む、クセを見抜く。そしてそれに合わせて、これでもか、これでもか、と乾燥させて材料にしていく。

「家業ではありましたが、じっと坐っている仕事も、汚れるのもいやだった。後を継ぐつもりはなかったんですが、年の離れた兄にやれ、と言われて断れなくて。その兄は、私がやる気になるまで忍の一字。やる気になってからは、ものすごく厳しかった。そのかわり、10年かかるところを6〜7年でたたき込んで、一人前にしてくれました」。

時代とともに変化し、時代とともに生きる技

製材された材料を仕入れる職人も多いなか、原木を仕入れる喜多さん。それゆえ、櫛づくりは材料の切り出しから始まります。丸太を歯の長さに合わせた 寸法(普通の櫛の場合は1寸4分)に輪切りにし、割れやすい芯を除いて櫛型に製材。それから天日で自然乾燥させて輪締めをし、数日間つげのおが屑を燃やし た炉で燻製乾燥させ、さらに自然乾燥させる、というのが喜多製作所独自の方法。これで、ぐんと色艶がよくなるというのですが、ここまでで10年ちかい歳月 が必要。このあと、かんながけ(ゆがみをなおす)、歯立て(櫛の歯をつくる)、歯ずり(ヤスリを使って歯形を調整)をし、全体の形を整え、椿油につけ込ん で自然乾燥させ、磨き込んで仕上げます。どうです。惜しみなく、贅沢に時間がかけられているでしょう。しかも、つげの木は生長が遅くて、100年かって やっと直径20センチくらい。だから喜多さんは、次世代のための植林も行っています。

「仕事に手間も時間も惜しみはしませんが、技術は時代とともに進歩します。道具も機械も進歩します。職人も時代のニーズを捉える力が必要だと思います」
と喜多さん。現代女性のヘアスタイルに合わせて次男・正貴さんと試行錯誤のうえ開発し、実用新案を取得したつげブラシは、鹿児島の新特産品コンクールで鹿児島市長賞を受賞しました。

使えば使うほど馴染んで、髪も櫛も艶が増す

何十本とある歯の1本1本に、少しずつ角度をかえて何度もヤスリがかけられた櫛は、髪に差すとその重みですべり落ちるくらいに磨き上げられています。
「天然素材で静電気が生じませんから、頭皮にほどよい刺激を与え、枝毛や切れ毛が少なくなりますよ」。
しかも「日常の道具は丈夫でないといけない」が身上の喜多つげ製作所。もし歯が折れたり、割れたりしたら修理してもらえます。お代は100円(2009年現在、消費税別)。

修理を依頼された櫛を手に、使い込まれた様子をいとおしそうに確かめる喜多さん。黄色くなめらかな肌を持ったつげの櫛は、使っているうちに艶を増し、見事な光沢をたたえるようになります。つげに対する愛着が、じっくりとこめられた、美しい道具です。

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