江戸の町人文化が育てた友禅
友禅というのは、貞享年間(1684〜1687)に扇絵師・宮崎友禅斎が始めた布に模様を染める技法のひとつ。京の都から伝わったこの技法が江戸で広まったのは文化文政のころといわれています。時代は町人文化の爛熟期。しかし、幕府の通達により、町人の生活は食べるものから着るものまで、じつに細かく規制されていました。江戸っ子たちは手の込んだ友禅染めを駆使しつつ、表は地味に、そのかわり裏地に金銀をあしらうなどして、洒落っ気を発揮。こうして雅できらびやかな京友禅とは趣の違う、江戸友禅が生まれました。色数は抑えめで一見渋め。でも、だからこそ、落ち着いた色味と粋な柄ゆきは、時代を超え、世代を問わず愛されてきました。平成の女性たちにも新しさを感じさせる、それが江戸友禅です。
丹念な仕事が納得のいく仕事につながる
手描き友禅の持つ品格、染めの美しさ。その工程は、というと……じつに20工程以上にわたり、そのすべてに卓越した技が必要になります。水に溶ける植物染料で下絵を描き、染料がにじまないように糊で輪郭を描き(糊置き)、染めては染料を定着させるために蒸し、を繰り返し、そして最後に水洗い(友禅流し)。それぞれの工程を分業で行う京友禅と違い、江戸友禅の友禅師はそのほとんどを単独で行います。大量生産はできませんが、そのぶん職人のセンスが光る、個性豊かな反物になるのです。
小倉剛さんがこの道に入ったのは、戦後すぐのこと。疎開先で結核を患い、体に無理のない仕事を、と親戚の染め師のところに弟子入りしたのだそうです。「じっと坐っている仕事かと思ったら、とんでもない。最初はお使いとか、荷物運びとか、力仕事ばっかり。でも親の生活もかかっているから、はやく一人前にならなくちゃ、って」。
辛抱の末、10年後に独立。おもに有名百貨店や小売店の誂えの仕事を手がけ、丹念に、納得のいく仕事を重ねてきました。ただ、反物がお客様の手もとに届くときには「高級呉服店謹製」という札しかつきません。買ったほうも、それが誰の作品なのかわからないのです。でも、なにげなくテレビを見ていて「あ、俺のだ!」ということもときどきあるそうです。
禅師、ふたり
東京都新宿区高田馬場──神田川がそばを流れ、かつては江戸友禅の工房がたくさんあった場所。1673年に創業した越後屋呉服店(現・日本橋三越)の染め工房も、この付近にあったのだそうです。残念ながら今では、隅田川や神田川で友禅流しをする光景は見られなくなりましたけれど。
その高田馬場にある仕事部屋の、むこうと、こっち。
丹念に矢羽根を染める小倉剛さんと向かい合わせに机を置いて、息子の悟さんが新しい図柄の染めに取り組んでいます。天性の感覚を持ち合わせ、江戸友禅の若手ホープと称される悟さんですが、じつは「学生時代、ロックミュージシャンを目指して活動していました」と。この柔軟性が継承者としては貴重な存在。伝統工芸の世界に吹く新風として注目されています。
伝統と変化。そして新しい伝統へ
洗練された柄ゆきと色あいで、女性のたおやかな美しさを際だたせる父・小倉剛さんの友禅は、これまで数えきれないほどの大和撫子を包んできました。かたや、息子である悟さんの作品は、伝統的な柄を現代風にアレンジし、斬新で、動きのある大胆なものも数多くあります。
「好みがはっきりしていて、どうすれば自分の美しさが引き立つかわかる女性が増えてきました。そんな現代女性が、どんなときに、どんな場所に、どんなシーンで着物を着たいか。そこから考えてデザインをしたいと思っています」と悟さん。
新しい図案のアイディア、色使いと配置の妙。時代は移ります。着物も時代とともに変化します。新しい伝統が、ここから生まれていくのです。